映画『チョコレートドーナツ』は1970年代アメリカを舞台に、ゲイカップルとダウン症の少年が“家族”になろうとする姿を描いた実話ベースの物語。
これだけ言うと「な、なんか重たいテーマやな、、」という印象を持たれると思うんですが
そうです!正直重い話です!
というか、この説明を聞いて一瞬でもうろたえてしまった人にこそ是非観てほしい、向き合ってほしい映画です。
彼らの愛の深さと、立ちはだかる社会の理不尽さを、この映画を通して知ってほしい。
そんな思いで、本記事ではネタバレを含むあらすじ、レビュー、そして細かい描写の考察まで徹底的に解説します。
映画『チョコレートドーナツ』とは?作品概要と基本情報
『チョコレートドーナツ』(原題:Any Day Now)は、2012年に公開されたアメリカの映画。
監督はトラヴィス・ファイン。主演はアラン・カミングとギャレット・ディラハントで、1970年代の実話をもとに描かれた感動作です。
日本では2014年にミニシアターで劇場公開され、SNSや口コミを中心に「涙が止まらない映画」として話題になりました。実は2020年頃、東山紀之さん主演で舞台化もされていたようです。
全体のストーリーとしては先ほど述べたように、同性愛カップルとダウン症の少年が“家族”になろうとする姿を描いています。
ただ、当時のアメリカ社会には性的マイノリティに対する偏見や差別が今よりも強く存在しており家族になりたいという彼らの願いはトントン拍子には進まないのです。
鑑賞終了後は「家族とは何か」について深く考えさせてくれることでしょう。
公開年・監督・キャスト紹介
公開:2012年(日本公開は2014年)
監督:トラヴィス・ファイン
主演:アラン・カミング(ルディ役)、ギャレット・ディラハント(ポール役)、アイザック・レイヴァ(マルコ役)
特にアラン・カミングは、歌手であり俳優としても知られており、本作で見せる歌声は圧巻です。
そしてアイザック・レイヴァは本人もダウン症の俳優。
彼の愛くるしい姿がまたなんとも、、
(書きながらまた泣きそうな筆者…
映画『チョコレートドーナツ』あらすじ(ネタバレあり)
舞台設定と主要キャラクター
物語の舞台は1970年代のカリフォルニア。ゲイバーのシンガーであるルディ(アラン・カミング)は、自由奔放で情熱的な性格。
ある日、彼はゲイバーに来ていた検察官のポール(ギャレット・ディラハント)と出会い、恋に落ちます。
そんな彼らのもとに現れたのが、ダウン症の少年マルコ(アイザック・レイヴァ)。母親に育児放棄され、居場所を失っていたマルコを前に、ルディとポールは彼を保護しようと決意します。
出会いから始まる“家族”の物語
最初はぎこちなく始まった生活でしたが、やがて3人は互いに心を寄せ合い、まるで本当の家族のような温かな日々を送るようになります。
ドーナツが好きなマルコ。ポールにもらったチョコレートドーナツを頬張る姿は何とも愛らしい。
裁判での闘いと社会の壁
しかし「同性カップルが子どもを育てる」という事実に、周囲は冷たい目を向けます。検察官であるポールは合法的にマルコと家族になれるよう戦いますが
裁判所でも偏見が色濃く、正しい愛情よりも“社会の規範”が優先されてしまいます。彼らはマルコの幸せを願い、守ろうと必死に闘いますが、壁はあまりにも高かったのです。
涙のラストシーンまで
最終的にマルコは施設に入り、ルディとポールのもとから引き離されます。
ラスト、ルディがステージで歌うシーンは、愛する存在を奪われた悲しみと、マイナーな人間に注がれる社会の理不尽さを嘆き、それでも愛を貫く強さを象徴しています。
筆者は大きな喪失感を感じながら、これでもかと涙をボロボロ流しながら聴きました。
映画『チョコレートドーナツ』レビューと感想
ここからはがっつりネタバレがあるので、映画を視聴してから読まれることをおすすめします。
泣けると言われる理由
先述したようにルディとポールの愛情はあまりにも純粋で、本当に素敵な家族であるからこそ、それを社会の理不尽さによって引き裂かれたとき悔しくて悔しくてたまらない。
「家族」の温かさ
血の繋がりの無い彼らですが、そんなことはどうだっていい、「家族」とは血の繋がりのあるものだけを指す言葉ではないと感じさせてくれます。
ドーナツが好きだというマルコに、「そんなもの朝から食べたら身体に悪いよ」とマルコの健康を気遣うルディと、「まぁいいじゃないか」とチョコレートドーナツを出してくれるポール。
、、まさにオカンとオトンでは??
さらに、マルコのためにと部屋とおもちゃが用意されました。
この時のマルコは背中を向けていて表情は分からないのですが、嬉しいと肩を震わせるその様子はもう、、!!!
ルディがマルコを抱きしめながらポールを振り返るそのほほ笑みももう最高ったらありゃせん。
筆者は「よかったね、よかったねマルコ、、!!!」と涙ポロリ。
マイノリティの苦労
ゲイのカップル、そしてダウン症の少年。マイノリティをこれでもかと詰め込んだような彼らですが、実は彼らが頼る人たちもマイナーな人ばかり。
例えばマルコを診察してくれたお医者さん。アジア系の医者でした。
作品の中でアジア人であることに特に触れられはしませんでしたが、ほかのキャストは基本白人を起用しているので、ここにあえてアジア系を採用しているのは明らか。
マイナーな彼らが頼りにできるのは、自身もマイノリティで差別的なことを経験していると予想できるマイノリティな人たちなのでしょう。
その証拠に、検察官として働く白人、ポールの弁護を引き受けてくれたのは職場の同僚ではなく、黒人検察官でした。
裁判での理不尽な対応
マルコの親権を争う裁判。
獄中の母親本人がルディ達の監護権を承諾した正式な書類があるため、普通ならルディたちの勝てる案件と思われますがそうはいきません。
どれだけルディ達がマルコに愛情を注いできたかを訴えても、”ゲイ”が社会に反しているかのように扱われ、最終的には裁判で勝てませんでした。
なんだかんだバッドエンドのストーリーって滅多に出会わないので、初めて鑑賞した時は裁判で負けたことが衝撃でした。
なんて社会は優しくないのだと、マルコにとっての幸せが何かわからないのかと悔しくてたまりませんでした。
裁判のその後
敗訴したルディ達。マルコは、取引をして出所を早めた母親のもとへと送られます。
するとこの母親、早速犯罪を繰り返しているではないか。キレるでほんま(笑)
以前と変わらず、マルコを邪魔だと家の外に出るように指示。
ただマルコはもう、以前のマルコではなく、ルディとポールから受けた本当の愛情を知っているのです!!
部屋の前でおとなしく待つのではなく、ルディとポールが住む家を目指して歩き出したマルコ。
3日間歩きまわった末に、、
このシーンで筆者は嗚咽するほど泣きました(笑) 体中の水分が涙として出ていったと言っても過言ではないくらい涙が止まりませんでした。
映画『チョコレートドーナツ』を観るべき理由とまとめ
本作の舞台となったのは1970年代のアメリカ。約50年が経過した今でも、LGBTQ+の権利や障害者を取り巻く環境は完全に公平とは言えません。
本作は「過去の物語」でありながら、今を生きる私たちに鋭い問いを投げかけ続けています。『チョコレートドーナツ』は時代を超えて通じる名作と言って過言ないでしょう。
多様性が重視される現代だからこそ、マイノリティな人々が受けている偏見や理不尽に向き合い、そしてまた「家族とは何か」を改めて考えたいですね。